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湖川友謙 サンライズ作品画集(仮)

空想世界のリアリティ まとめ [富野関係]

連載1回目

先日、「カシャッと一句! フォト575」って番組を見ていたの。写真と俳句を合わせた作品を投稿する番組ね。

 で、雪がしんしんと降っている写真に、自分の老いと地域の過疎を詠んでいる作品があったんです。

 当然と言えば当然なんだけど、東京生まれ・東京育ちのMC伊集院光や、大槻ケンヂさんとは、作品から受ける印象が全く違ったわけです、ぼくは。

 ぼくは現在札幌に住んでいるけれども、以前はもっと豪雪地帯に住んでいたこともあったし、寒冷地方に住んでいたこともあった。

 だから件の作品を見た時は、「年をとったら除雪が出来なくなるし、さりとて田舎だと除雪ボランティアをしてくれる人も少ないだろうし、生命の危機だな」と切実に思ったのでした。

 えー、まあね。


 今回は「人それぞれ感じることは違う」って当たり前の話なんですけれども。

 あ。
 今回の内容は、本当は数年前に書こうとしていたものです。頭に残っているそのまま書くので、今ではもう存在しないサービスとかが出てくるけど、そこは寛容な気持ちでお読み下さい。

 えー、お題は「空想世界のリアリティ」、なんですけれども。

 アニメはもちろん、映画にも小説にもリアリティってものは必要ですね。
 ただ一言でリアリティとはいっても種類は複数あって、例えば世界観、設定、キャラクターの心情、なんていう風に分けられると思います。

 ここで重要なのは、「現実にあること」がリアリティなのではなく、「ホントにありそうだな」と思えることがリアリティなわけです。

 ガンダムを例にとると、スペースコロニーは現実にありませんが、しかし作品世界においてリアリティを持っています。

 逆に、例えば「恋人を失う」ことは実際にありえることですが、恋人を失ったヒロインの芝居がステロタイプであれば、そこにはリアリティが生まれません。 

 ぼくは作品を見る際、人間ドラマを一番の楽しみにしています。だから正直、世界観や設定がちょっとグダグダでも、かなり目を瞑れます。

 前にYahoo!動画で配信されていたアニメ『赤い光弾ジリオン』のレビューに、「都合良く主人公のいる場所に襲ってくる敵」といった旨の批判がありました。

 ま、それはその通りなんですが、ぼくは「イヤイヤそうは言っても、このアニメはキャラクターの掛け合いを楽しむものなんだから、そこは見ぬふりをしましょうよ」と思うわけです。

 もちろん、ここは個人差です。
 こういうところに引っかかる人がいらっしゃるのは当然ですし、さらに書けば『新世紀エヴァンゲリオン』のように「なぜこの場所にばかり敵が襲ってくるのか」の理由が用意されている方がいいのも、勿論です。

 けれど、ま、そこは大目に見ようよ、と。ぼくは。

 昔のロボットアニメで言うと、例えばダンクーガなんてパイロットが人質救出作戦までするし(それ、オマエの仕事?)、ゴーショーグンなんて突っ込み所満載だけど。
 「このアニメはキャラクターの動きを楽しむものだから」と我慢できるわけです。

 最近のアニメだとホラ、例えば『咲-Saki-』を見ていて誰も「リンシャンなんて狙ってできるわけねーじゃん!」「なんだ、ステルスって」とか誰も本気では突っ込まないでしょ? 
 みんなお約束として楽しんでいるわけじゃない。

 それの延長線上であって、ぼくの場合、その延長が長いんだろうね、随分。

 あ。ついでにもう1つ例をあげるね。

 昔、唐沢俊一さんがあるムックで、宮崎のカリオストロの城をこき下ろしていた。
 冒頭のシーンで、ルパンが精密な偽札であるゴート札を一目で見破るのがおかしいとか書いていたけど。

 お仕事として書いたのならご苦労様、本当にそこに引っかかるなら可哀想な人だなあと思って。

 そんなこと気にしないで、素直にあの物語を楽しんだ方が得じゃない?

 で。
 世界観や設定のリアリティには大甘なぼくですが、もちろん限度はあるし、人それぞれに「ココには厳しい」ってところがあると思います。

 雪国育ちのぼくには、冬のシーンがそれです。見る目が厳しくなります。

 その昔、『機甲創世記モスピーダ』というアニメがありました。OPカッコいいよ。

 その中で、主人公達が雪山に入るシーンがあります。
 しかし、彼・彼女達の服装は普段着のまま! 無理!

 しかも肌の露出度がなかなか高い服装です。こんな装備で雪山を越えられる訳がない。凍死します。

 ここでぼくの「リアリティなくても楽しもう」の限界は超えてしまい、ゲンナリしてしまいます。

 雪国育ちなので雪のシーンには、厳しいのです。

 主人公達は雪山を越えようとするのですが、途中で敵(インビット)に襲われます。

 キャラクターはキャーキャー叫びながら逃げますが、全くリアリティがなく、ぼくは完全に白けてしまいました。
 インビットに殺されるより先に、寒さで死ぬよ、と思ってしまうのです。

 逆に、雪山のシーンでリアリティを感じたのは、『太陽の牙ダグラム』です。

 同じく雪山を越えるシーンで、ダグラムは寒冷地用に改装されます。

 その説明シーンは僅かですが、それだけで作品世界に十分なリアリティが生まれるのです。


連載2回目

前回は、アニメにおけるリアリティってのはいくつかの種類があって、さらに視聴者が「リアリティがないなあ」と感じる境界線も千差万別・十人十色って話をしました。

 では、我が富野作品におけるリアリティはどうなんだろう、という話題が今回です。
 久し振りに富野はスゴイ、富野はスゴイ、という記事になります。

 特にぼくが一番興味のある「キャラクターのリアリティ」について書いてみます。
 参考にする作品は、アニメの最高傑作と信じて疑わない『伝説巨神イデオン発動篇』です。

 この作品では様々な技術によって、キャラクターにリアリティが与えられています。

 その中の例を1つ2つあげてみましょう。例えば激しい殲滅戦の中、デクはサンドイッチをつまみながら呟きます。
「俺、死んじゃうかも知れないのに、なんで食べてるんだろ」。

 勇ましい台詞でもなく、かといって悲観的でもない。

 殲滅戦という極限状態の中で、日常の営みである「食」に関する台詞がスルリと入り込むこのシーンは、見る者に深い印象を与えます。

 キャラクターに深みが出るだけではなく、「ああ、実際にこうかもしれないな」と状況にまでリアリティを与えてしまう、素晴らしいワンシーンだと思います。

 技法的にはおそらく、シリアスなシーンでわざと牧歌的な音楽を流したりする「コントラプンクト」の一種になるのでしょう。
 
 ん。この例えちょっと格好つけているな。アレだよアレ。
 喪服の未亡人がエロいことするAVって興奮するじゃん? アレだよ。

 えー、そうなの? コントラプンクトの説明それでいいの?

 あ、ついでに一言。相変わらず脱線です。

 このコントラプンクトを最も効果的に使ったロボットアニメはイデオンのこの場面か、『愛・おぼえていますか』の例の戦闘シーンだと思います。

 敵との最終決戦のBGMに、甘ったるいラブソングを流す。
 コントラプンクトの見本のような、それでいて歌い手にまでスポットライトを当てることでオリジナル性を獲得した、素晴らしいシーンだと思います。

 さてイデオンに話を戻しましょう。

 もう1ヵ所、キャラクターの心情を凄くリアルに感じられるシーンがあるので、ぜひ書きたいと思います。
 書かせて下さい。できればお金も下さい。

 以下のシーンです。

 カララ「私は姉さんを殺し、赤ちゃんを産みます。ロゴダウの異星人のベスの子を産みます」
 ハルル「おお撃ってみよ。裏切り者の女の撃つ弾が、当たるものかよ!」

 本当に名シーンですね。セリフ起こしをしただけで、ちょっとゾワっとします。

 さて、ここにあげたハルルのセリフ、内容は支離滅裂です。

 「裏切り者」が「撃つ弾」でも、当たることはもちろんあります。
 全く論理的ではありません。

 しかしそれ故に、見る者の心に迫真する「何か」があります。

 「何か」の正体はおそらく、ハルルのごちゃまぜになった感情です。
 妹への羨望と嫉妬と怒り、自分への矜持と苛立ち、全てが出た瞬間です。

 これが例えば、「まともに銃を握ったこともない、お前の弾が当たるものかよ!」だったらどうでしょう。「当たらない理由」を説明してはいますが、本来のセリフが含有しているハルルのごちゃまぜな感情、は全くありませんね。

 ここではセリフが支離滅裂であるが故に、キャラクターの心情にリアリティが生まれているのです。

 作劇って、本当に奥深いものですね。


連載3回目

リアリティの話・最終回、いきますか。
 今回はリアリティとダイナミズムなんてお題で、一つ。

 コトはロボットアニメに限った話かも知れませんが、リアリティとダイナミズムってえ両者はまあ、特に戦闘場面においては水と油とまでは言わないものの、相対する場合があります。

 リアリティをとるとダイナミズムが失われる、逆にあんまり恰好良さや派手さだけにこだわっちゃうと、荒唐無稽になっちまう。

 ま、この塩梅具合が、製作者の腕の見せ所でもあります。

 例えばガンダムで、実剣であるヒートホークとビームサーベルが切り結んでしまうシーンがありますね。
 今でこそ矛盾のないように設定を後付けしたようだけど、早い話、演出のミスですよ。

 でも、あのシーンはあれでいいと思うんです、ぼくなんかはね。

 サーベル系のアクションの魅力は、時代劇の殺陣と一緒です。

 殺陣にはどうしても、鍔競り合いだったり、迫る剣を跳ね返して空いた胴をなぐ、だったり、「剣と剣がぶつかる」動きが必要だと思うんです。
 だからあのシーンはリアリティよりダイナミズムを優先させたってことで、ぼくはOKなんですよね。

 勿論、前回からしつこく書いていますが、「イヤ、あんな破綻しているシーンは許せない!」って人がいても、まあそりゃそうだよな、とも思いますよ。
 ただぼくは納得できるってことです。ダイナミズムを優先したい人間なので。

 もう1つ2つ、例をあげましょう。

 ファーストガンダムの第1話で、ザクを背後からビーム・サーベルで一刀両断するシーンがありますね。

 一応あの後に、コロニーの外壁に穴が開いて云々、みたいなやり取りはありますがどうでしょう、設定のリアリティを重視する後年のガンダムなら、そもそもコロニーの地表で敵を爆発させる描写自体をいれないのではないでしょうか。

 けれどもぼくは、「そんなことよりケレン味の方が重要だ!」と思うわけです。
 真っ二つに切ったガンダムに喝采を送るわけです。

 また、「宇宙空間では音が伝わらないから、爆発音を付けない」ってリアリティの出し方もありました。
 『0083』だっけ?

 やっぱりこれも、ぼくなどは「くだらねーこと言ってないでボンボン鳴らせ」と思うんですが、その一方で「やっと不自然な描写が消えたか」と納得するファンの方も当然いらっしゃると思います。

 戦闘シーンにおけるリアリティとダイナミズムの兼ね合いってのはこのように難しく、またクリエイターの個性が見えるところでもあります。


 ちなみに富野は、ダイナミズムを優先するタイプだと思います。これは、もう、かなり顕著です。

 『F91』ではガンダムを分身させました。
 ファンなら「金属剥離」という理論武装? を知っていたでしょうが、知らないまま見た人はビックリしたはずです。

 ぼくはビックリしました。ガンダムが分身。

 リアリティよりも、ボスとのラストバトルでの画面の派手さ・ダイナミズムをとった結果でしょう。

 また、『逆襲のシャア』。
 νガンダムがフィン・ファンネルでビームのピラミッドを作り、敵の四方からの攻撃を防ぎます。

 ここもνガンダムの強さ・アムロのパイロットとしての技量の高さを、リアリティを損なってでも優先して見せた場面です。

 このシーンでは演出(ダイナミズム)を優先させながらも、リアリティを維持するために、ビックリの技術を用いています。

 ギュネイ「ファンネルがなんであんなにもつんだ!」

 キャラクターに突っ込ませた! そりゃ見ている方のセリフだよ。

 しかしこのセリフによって、視聴者が「ああ、そんなにスゴイんだ」と納得した気になっちゃうのも、事実です。
 しかもこの後、α・アジールの強力なビームに合わせてビームのピラミッドが崩れるのも、リアリティの補強になっています。


 そして富野は『キングゲイナー』において、この難しい「戦闘シーンにおけるリアリティとダイナミズムの関係」を、たった一言の魔法の言葉で解決してみせました。

 いわく、


「オーバースキル!」

 

富野を知るにはこれを買え


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